日記を書こうゾ |
ホームページに置く日記というものは、「日記」という秘匿性と「オンライン」という公共性の矛盾した性質を背負っている。
絶えず他人の目を気にして綴りながらも、その実は、そうやって意識された「他人の目」による自己の内省という行為に他ならず、つまり常に意識しているのは、限りなく「自分」という存在なのだ。
そういう意味においては、ホームページ上の日記というのは、ノートに鉛筆で書くような日記に比べて、「より日記らしい」と言えるように思う。
日々、綴りながら、或いは過去の日記を省みたとき、精神的に成長できるような。そんな目論見をもちつつ、日記を書いていこうと思う。三日坊主にならなければよいが・・・。 |
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6月26日(土曜日) |
今日はLINKのページを作った。とりあえず勉強も兼ねているので、カタカタと手打ちでHTMLを打っているのだが、流石に遅い気がする。やっぱりエディターを使った方がいいかのぅ。
ところで、本棚を見ればその人の教養が分かると言うが、ホームページにあるリンクを見ても、やっぱりその人の趣味・趣向が伺えるよなぁ、と思う。
自分のを眺めてみると、なんて自分は偏った人間なんだ、と痛感。いかんねぇ、もっと一般人にならんと。 |
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作品鑑賞日記:ライアーライアー(洋画) |
何で今ごろになって、ライアーライアーなのかというと、最近うちの近くのレンタルビデオ屋が、毎週火曜日に旧作を1本50円(税別)で貸し出すようになったから(三泊四日)。
これを機に今まで縁遠かった洋画・邦画をチェックしまくろう、と思ったのよね。
ちなみに僕は、映画通という訳では全然ないので、僕の文章を真に受ける必要は全くない。
で、なんで「ライアーライアーだったか」っちゅうと。声優の配役が山寺宏一だったから。いやはや、流石に巧いよ、山寺さん。ジム・キャリー本人の演技も聴いてみたけど、甲乙付け難いね。お話の内容としては、まあこんなもんか、といった程度だけど。ジム・キャリーと山寺宏一、両方の役者の演技力が秀逸で、素直に楽しめた。
基本的に、僕は洋画を観るときは日本語吹き替え版を観るようにしている。理由は、「目で映像を見て、耳で会話を聞いて理解する」というスタイルが大事だと思っているのと、日本の声優の演技も十分評価に値すると思っているから。
僕にとって、日本語吹き替え版っていうのは、日本人によるリメイク版という印象。日本人によって租借された別作品。日本人にとって、どちらで鑑賞するのが良いのか、という議論はさておき、僕は吹き替え版を一つの作品として観ていきたいなあ・・・。おわり。
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6月28日(月曜日) |
仕事が全然はかどらない。なんというか、指示された作業のコツが今一つ掴めない感じ。今日なんか、本当に仕事をした気がしないし・・・。
こんな「ダメっす発言」を日記に書き始めると、多分際限がないんだろうなぁ、とは思うのだが、大学時代の卒論時は「うまくいっていない」ことを公言しなかったばかりに、大変なプレッシャーを自分で創ってしまい大失敗をしたので、その反省を踏まえて、これからは出来ていないことは隠さず、積極的に善処していく姿勢を作っていこう、と思う。
なんか、無茶苦茶立派なことを言っている気がするが、きちんと目を開いて読み返してみると、やっぱりダメ人間の発言くさい。 |
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作品鑑賞日記:フェイク(洋画) |
レンタルビデオのパッケージタイトルに踊っていた主演「ジョニー・デップ」という役者の演技、というかキャラクターをチェックしておこう、と思って借りてみたのだが、一番印象に残ったのは、アル・パチーノの演じているマフィアのおっさんだった。
レフティというそのオヤジのさえなさ具合には、かなり胸を打つものがあった。どう見てもマフィア寄りに視点があるもんねぇ。ジョニー・デップは全く霞んでた。
主人公は内の葛藤を言葉にして表してしまうから、ちょっと感情移入するのにも限度があるかな。唯一奥さんとの口論は、「この女はなんでこんなに頭悪いんや」という感じで同情できる。
しかし、アメリカ映画のテーマは「離婚夫婦」という意見に、最近ではつくづく同意できる。向こうのシナリオライターっていうのは、よほど妻や子供に対して恐怖感を持っているんだろうね。その執着はひどく異常に映るが、あまり興味を持たない日本人の方が変なのだろうか。 |
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ゲーム体験日記:Filthy Rich(ボードゲーム) |
ふとしたことから、先日プレイしたアメリカのゲーム。日本での販売はまだされていないらしい。
まずコンポーネントがイカす。「カタンの開拓」を始めて見たときのような衝撃だった。
この辺は流石「マジック」とか、「ロボラリー」とかを売った会社という感じ。こういったゲームの食いつきっていうのは、やっぱり見た目だよね。
続いて、アイデアに驚く。よくマジックのカードをコレクションするときに入れるようなバインダー。9つのポケットがあるファイルシートに、カードを挿入していきながら、ゲームが進行するのだ。
詳しい説明は省くが、カードファイルバインダーという物体の構造をうまく利用している点で感心感心(ポイントの一つは9つのポケットと10面ダイスかな)。
プレイした感想は、「モノポリー」とか「カタン」の亜種といったところ。「積まれゲー」でもあり、「ダイスゲー」でもある。一旦、トップ者が走り出すと、当然他のプレイヤーは、そいつを勝たせないようにするのだが、「エルグランデ」とか「カタン」と違って、そういったトップ落としの行為をすると、ますます二位以下の首が絞まる気がする。その意味で逆転の要素が少なく、実に「モノポリー」っぽいのよね。
もう1、2度プレイしてみないと、バランス感覚が分からないが、もとのアイデアが良いだけに、そこら辺が残念だなあ。
※積まれゲー
カードや牌など、あらかじめ積んであった配列によって勝敗が決するもの。代表例がM:TGや麻雀
※ダイスゲー
一番分かりやすいのが「すごろく」。戦略とか判断とか、全く感知しないランダム要素で勝敗が決するもの。
別に両方とも悪いと言っているわけではない。「全てのゲームはクソゲーである」という名言もあるし。 |
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6月30日(水曜日) |
やっと、MAGICのドラフト戦用カード評価ができた。まだウルザズサーガだけだけど・・・。
カードごとにコメントも付けたいなあ。なかなかページができない。時間が欲しいなぁ。というか、自分の家でページをいじれないのが問題なんや。ぶつぶつ・・・。
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作品鑑賞日記:タイムリープ(邦画) |
原作の小説を読んだのは、もう四年も前になるのか・・・。
単刀直入に言うと、駄作だった。全然駄目。「話にならない」まで伸びる。
どう考えても原作の改悪版。映画版独自の設定が、全部不要な設定ばかり。なんで、同性愛者とかバリ島とかを持ち出さなきゃならんの?しかも描ききってないじゃん。
たぶん、芸能プロダクションとかの軋轢があったんだろうねぇ、と思わせる配役。当然、ことごとく演技が下手。っちゅうか、佐藤藍子かわいくないんじゃ、ボケェ(製作者の気分的には「時をかける少女」だったんだろうか)。
主人公の女の子がタイムリープする瞬間も描写も納得いかんしね(日記を書いている場面で「飛ぶ」描写はマズイと、思わんかったんかねぇ)。
小説には小説の、映画には映画にピッタリあった演出が必要だと。当たり前の話なんだけど、そう思う。原作知らない人間が、あれを見て、どんな仕組みや流れで1週間が過ぎたのか、理解できるのか、はなはだ疑問。もっと工夫して欲しい。
まぁ、あの映画を見た人って、半分以上は原作読んだ人なんだろうけどね。
何かを期待するのが、無理な話なのかもしれんが、あまりに悲惨だった。
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7月2日(金曜日) |
昨日はM:TGのドラフト用のカード評価表のURZAブロックまでを上げた。
とりあえずコンテンツをしっかり揃えないと、HPなんてゴミだしね。あとは、各ページを形にしてから、それぞれ肉付けしていくようにしよう。
はやく「ホームページつくりました」と公言できるようにしたいなり。
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作品鑑賞日記:戦争と冒険(洋画) |
ケーブルテレビでやっていた、かなり古い作品(70年代だったと思う)。イギリスの首相チャーチルの若い頃の話を映像化したもの。たぶん英国映画なんだろう。
政治家になるための足がかりをつけるために、軍人になって勲章を沢山とりたい、有名になりたい、というチャーチルの考えに、どうも大学のときの先輩の「やっぱ有名にならんと損だよね〜」という言動が重なった。
細かなことは分からんが、多分彼ほど人生において成功した人間はいないんだろうね。計画どおり、戦功を収めて英雄になって政治家になったんだから、立派なもんだ。
話の途中、話の中心人物、チャーチルと彼の父、母に対して各1回の合計3度、ゴシップを書く記者から部屋の中で取材を受けるというドキュメンタリータッチの描写が入る。カメラワークは記者から見た視点で、取材者を追う。この場面の演出が、妙に新鮮に映った。メリハリも付くし、それぞれの人物像を掘り下げる点でも効果的だ。更に20年後の今から見ると、当時の世相も伺えて面白い。チャーチルが敵地から脱走を企てて、その脱出行がリアルタイムで報じられることで、彼が有名になり、応援され、脱出達成後には英雄になる、という過程は正にワイドショー的で苦笑せざるを得なかった。
二時間半もあったが飽きずに観れたので、娯楽作品としてのこの映画も及第点だろう。僕的に。 |
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7月5日(月曜日) |
一昨日、昨日とつまみ食い的にウィンブルドンを観た。
本当は全然テニスなんかに興味はない人間だったのだが、大学の友達に好きな人がいたから、多分その影響。やっぱり友人には、いろいろな趣味をもった人たちが沢山いることが望ましい。それだけで、視野が広がる可能性があるから。
でウィンブルドンだけど、なんとなく応援してたアガシとグラフが共に決勝で破れてがっかり。でも、一番の見所はグラフとルチッチの準決勝だった。
なんか、全ての状況がグラフを格好良くみせるためにあったような感じだった。二人とも全力出してるんだけど、自力でグラフが勝(まさ)っていくという状況、というか空気というか・・・。それがとても伝わってきた(気がする)(テレビの実況に踊らされてただけか?)。
負けはしたけど、ルチッチにもとても好感を持った。無茶苦茶かわいいっす。名前だけでも、可愛く感じるよねぇ。
でも、プロフィール調べたら、あれで身長180センチもあるんだね、怖っ。 |
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作品鑑賞日記:アサシン(洋画) |
なかなか良い作品というものには、出会わないものだ。
観た後でちょっと調べたところ、これはフランス映画「ニキータ」のアメリカ版だということだった。どうも観るべき順番を間違えたらしい。
何が悪いというのは、特にはないんだけど、主人公の心理描写が拙いといえば拙いのかな。「組織に対しての反感」と「社会の底辺から脱出したい」という2つの命題が、作品中でうまく位置付けできていない、というところか。
あと、個人的にドレスアップした後の金髪の主人公よりも、ヤク中だった頃の黒髪の方が良いと思うので、ちょっとのめり込めず。
主演の女優の名前も挙げようと思ったけど、忘れてしまった。 |
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7月6日(火曜日) |
今日はまだ終わっていないが、今日の日記。
今日はプロフィールページをつくるぞ。魔法塵についても書くぞ。
それが終わったらトップページのバージョンを更新するぞ。
こうやって宣言しないと、ずっと出来そうにないから、書いてみた。
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7月7日(水曜日) |
昨日書いたことは、半分もできなかった。家のポンコツMacで、FLASH画像を作っているのだが、やっぱりFLASHで作る意味が見出せない。
FLASHだから、とりあえず文字をぐるぐる回しとくか、って感じ?どうも芸がない。
まだほんの数人にしか、このHPを教えていないのだが、ここに書いたことに関するメールが2通ほど来た。うむ、やっぱり何らかのレスポンスがあるってことは、すごく嬉しいことだ。
で、いただいたメールで判明したことだけど、「アサシン」の主役の女性はブリジット・フォンダだった。確かに美人には違いない。が、欧米人の女性を見ると常に思うことは、身長何センチだろう、ということ。彼女もルチッチぐらいデカイのだろうか。
昨日、火曜日は例によって、レンタルビデオが50円なので、すかさず「ニキータ」を借りてきた。今日か明日にはチェックしよう。 |
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作品鑑賞日記:富江(邦画) |
また、やってしまった。日本人がつくる原作ものの映画は九割九分が駄作だと思っていたが、九割九分九厘が駄作だと認識を改めなければならない。
菅野美穂の演技が鬼気迫るものがある、という話だったが、その菅野は中盤に差し掛かるまで全然出てこない。まぁ、人を狂わせるほどの絶世の美女という役柄だから、ずっと画面に出しっぱなしにすると、いろいろ粗探しをされるから、出せなかったんかなあ、といろいろ勘ぐってしまう。
富江の体が再生していく部分が映像として表現していなかったのも、漫画家・伊藤潤二に敬意を表して(僕らにはマネできません、という意味で)の所作だったのかなあ、とか好意的に受け取ってみる。
ちょっと今思い返してみると、あれはやっぱり日本の映像関係者特有の「ホラーもの」に関する認識による曲解が生んだ産物だったんだと思う。
「どんでん返し」は必要だし、好きだけど、作品全部を俯瞰した演出術というものにもっと腐心しないと、「どんでん返し」には成り得ないのではないかと。
あと、原作を尊重することも重要だけど、原作の設定を流用することで尊重したことになる、と勘違いするのも止めて欲しいな。でも、ビッグコミックのホームページにあった伊藤潤二のインタビューでは、本人は映像化に満足しているみたいだったし、別にいいんか。
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7月8日(木曜日) |
僕は中毒患者です。
何の中毒かというと、缶コーヒー。あくまで「缶」コーヒー。
去年大学の卒論を書くために、深夜ずっと端末室にいた頃から、缶コーヒーが手放せない。別に美味いと思っているわけではなく、日に3本も飲めばもう、舌がザラザラしてひどい状態になり、激しい嫌悪感にさらされるのだが、中毒だからやめられない。
自分で煎れるような珈琲では駄目で、実は自動販売機にお金を投入して、ボタンを押して、腰を屈めて取り出し、タブを空けるところまで含めて、行動全体が中毒のようだ。
下手に酒を飲むよりも、よほど胃や肝臓に悪いと思う。お金も煙草を吸う人より使っているだろう(一日三本だから時価360円か)。
そんな僕が、最近一つ、うまい缶コーヒーをみつけた。UCCのBREAKという缶コーヒーだ。あのCMで閻魔大王が「もっと持って来い!」とか言って、地獄が天国になるアレ。今までいろんな缶コーヒーを試したが、これほど僕の舌にフィットしたコーヒーはなかった。
通っぽく言うと、「非常に舌触りがさわやか」なのだ。ちょっと、おすすめしたくなるような一品だった。
そして僕の舌は荒れ続ける、と・・・。 |
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作品鑑賞日記:ニキータ(洋画) |
先にアサシンを観たのは失敗だった。物語作品として、どちらが優秀なのかはよく判らないが、主演女優の美女ぐあいがアサシンのブリジット・フォンダの方が断然上で、そのプラス修正分ニキータの方が駄目だと思った。
逆にニキータの方が優れているのは、掃除屋のジャン・レノ。絶対にこっちの方が「怖い」から。それと、音楽もニキータの方が良いかな。
でも良いBGMの条件が、BGM自体を意識させないことだとすると、アサシンの方が優れてるんかもね。
ハリウッドの過激な演出(失禁とか、ビル爆破とか)を見たあとでは、どちらが優れた演出かは別にして、どうしても残量感が残る。やはりアサシンを先に見たのは失敗だった。
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ゲーム体験日記:MTGブースタードラフト(7月11日) |
富山に遊びにいったとき、コンベンションというか、小会に参加した。
その場で8人募って、サーガ・レガシー・ディステニーの3パックで開始。
結果は僕が勝った。他の7人には悪いが、この結果はかなり妥当だと思った。中学生なども混じっていたので、仕方がないと言えば仕方ないか。
サーガではちょっと色を決めかねて、回ってきた中で一番良いものをチョイスしていき、結果、黒、青、赤のカードを多く取った。
次のレガシーで青の良いカードをそれなりに取れたら黒青にするつもりだったが、案外良いのが来なかったので、黒赤の二色という方針で固める。レガシー・デスティニーでクリーチャーを主体に補強して、適当にデッキが仕上がる。
ペストなどの特に強いカードがあるわけでもなかったが、カード一枚一枚の質で上回りソツなく勝利。
ドラフトにおけるなかがき戦術の確かさを確認できて取りあえず満足した。ウルザシリーズって、やっぱり黒が強いですね。
戦利品に関してはかなり臭い内容。デスティニーって、やっぱりレアが駄目駄目ですね。
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7月13日(火曜日) |
ここ10年ほど、運良く生のカエルと遭遇することがなかったのだが、この数日の間に二度も遭遇してしまった。無茶苦茶ツイてねー。
僕は人間以外の生物が絶対に許せない人間で、イヌやネコはもちろん、昆虫や魚まで、とにかく動物は見たくもないし、触れるのもおぞましい。その中でも特に嫌なのは、カエル。
今年は何故かカエルが多く発生している雰囲気。恐怖の大王はカエルの大発生だろうか。クワバラクワバラ。
ところで、今日からポストペットをはじめた。ポスペ専用のアドレスも作ってもらったし、これからテディベア「けんじ」をかわいがるゼ。
アドレスは kenji@
オンラインしてるのは平日の九時半から17時くらい。誰かおつかいに送ってきて。 |
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作品鑑賞日記:パシフィカ(洋画) |
B級映画。
ストーリー的にも、役者的にも、映像的にも全くみるべきところがなかったが、節々にアメリカンテイストのSFギミックが散りばめられてて、それなりには楽しめた。
多分、原作があるんじゃないかと思うのだが、映画ではなく、小説で読めば、もうちょっと面白がれたと思う。人には絶対おすすめできない映画なのは間違いない。 |
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作品鑑賞日記:ジュマンジ(洋画) |
久しぶりにヒット。面白かった。ファミリー映画としては、おそらく最高ランクではないだろうか。
誉めるべきところは、そのテンポの良さ。「不思議さ」「怖さ」「笑い」がとても良いバランスと順番で出てきて、総合点としてかなり高い評価。
ロビン・ウィリアムズの役どころが、結構好み。僕はタイムトリップもの(?)に弱いらしい。虚言癖の女の子も良い。かわいい(これは声優の藤枝成子の手柄かも)。
最後はちょっと、ハッピーエンドすぎて、僕好みではなかったが、家族向けなのだから仕方ないか。細部で「ん?」と思う違和感もあったが、そういう部分を観る映画ではないよね、きっと。
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7月16日(金曜日) |
なんとなく、自分の時給を分単位に直してみたら、ちょっとブルー。
例えば、寝る前に「一分15円で一日を伸ばしてあげよう」とか神様か何か(悪魔でもよし)に言われたら、「うわっ!そんな安くていいんスカ?」と、飛び上がって喜ぶと思うんだよねぇ。
誰か僕にエクストラターンを売ってくれんかねえ。ゲームバランスが崩れるから駄目っすか?でも、人を使う側の人間って、現実にそういう感覚なんかも知れんねぇ。 |
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作品鑑賞日記:フェノミナン(洋画) |
ジョン・トラボルタ主演。ある日突然、異常能力者になった男の話。
ヒロイン役の女優の顔に小さなデキモノがなければ、かなり良い作品だと思った。
主人公を含めて、登場人物のリアクションがすごく普通で良かった。不思議な現象を語る作品は、その不思議な現象以外を極めて「常態」で描かなければならないと思う。
たとえば、いわゆる「西洋風世界のファンタジー」というのは、作品世界自体が突飛であるから、その作中で描かれる現象の、どこまでの範囲が「驚くべきこと」として認識すべきなのか、という境界が曖昧なのだ。昔、結構流行った「現実世界の主人公が異世界にトリップ」というパターンのファンタジーはその点、よくわきまえていたなぁ、と思う。
フェノミナンは、選ぶ題材(設定)も好みだったし、物語の展開自体にもかなり満足がいく。しかしながら、ちょっと間延びしたところがあり、目を退屈させない為に役者の顔に目がいくのだが・・・。
そういう意味で「ヒロインの顔にデキモノはまずい」と、思ったのでした。 |